「にわあそび・ときどき旅」

身近な観察、日々のこと、旅のこと・写真でつづり書き散らかしていきます

回想・パハルガム 


12月も終わりにさしかかり騒がしいなか、慌ただしくも大忙しという方も多いことかと
聖夜を祝う云われもないので卒して久しく、お正月もそろそろもういいかなぁ〜、と思いはじめたこの頃

我関せずで淡々と過ごしましょう、、ということで続くポジフィルムをスキャンした旅の回想


パハルガムはスリナガルからさらに高度を上げ、バスに揺られて3時間ほどにあるヒマラヤの入り口

パハルガム

英国統治時代、貴族階級が避暑に使ったであろう英式木造建築が立ち並んでいる

パハルガム

表面的修理を重ねた年代物の木造建築に水平垂直はもはや無く、味わいだけが際立って崩して描いた絵画風情

借りた英字ガイドブックロンリープラネットにパハルガムはトレッキング基地である旨書かれていたけれど

パハルガム

それらしきトレッカーはおろか旅人すらほとんど見かけることも無く
酷暑期を過ぎてモンスーン季に入り、避暑客はすっかり姿を消した後だったのだろう

パハルガム

仲の悪い中国、パキスタンと国境を有する地域故チェックポストがやたらと多く
当時インドはまだオンライン化前、役人や軍人が分厚く巨大な台帳を開いてのったり手書きで対応していた

パハルガム

チェックポスト通過にはたいていの場合恐ろしく時間が掛かったけれど
赤い日本パスポートの評判が極めてよろしく、これには随所で助けられていたのを思い出す

インドは広大かつ多様でこれもインドなのか、というどこか欧州アルプスを思わせる景色が広がっていた

パハルガム

周辺は馬文化である

外製品を禁じていた当時のインドTATA社製自動車の壊れっぷりはすでに伝説となっていたし
険しく崩落もままある山の道である。車より馬が使いやすい上、土地にも似合っていた

パハルガム

パハルガムはイスラム地域なのでヒンズーの神である牛は見かけず、同じく神である猿も見ない

郊外をひたすら行くと道は険しさを増してここがヒマラヤの端っこであることを思わせてくれる

パハルガム

この山をいくつか越えるとアーリア属からモンゴロイド属となり高地にはチベッタンが暮らしている
イスラム圏からチベット仏教圏に入れば文化もがらり様相を変える

パハルガム

長逗留したハウスボート暮らしにほとほと飽きてスリナガルから一週間ほどの小旅行
インドの山奥はパハルガム、すでに四半世紀前を超えてしまった旅の回想

(写真/Nikon F3/Zoom-Nikkor 35-105mm f/3.5~4.5)

回想・スリナガル4 


どうやらこの分だとこれからさらに日々の息苦しさが増すことも必至
世相は慌ただしい症候群、いいじゃないかの年末へ向けから騒ぎ

まあそんな事には一切関わらず、ここはたんたんと続くスリナガルの回想

スリナガルの人々

30年近く前になる初期の旅
当時ある程度旅を重ねて経験自信を持ったつもりで出掛けるも当然初渡印の洗礼は避けがたく

彼らが到着間もない経験少のウブな旅人を決して見逃すことはない、一通りボラれ一通りやられた
そこで鬼の形相だな、怒りに震え今まで味わったことない強烈な人間不信に自信喪失、、、で、しばし閉じる

その旅は下界の手荒い洗礼を受けてのち、天上のヒマラヤへと逃げた

スリナガルの人々

ヒンズーうごめく下界ではすべてが異形のものに感じられ正直恐ろしかった
そういうのは体にも出るんだね、滅多に出さない高熱まで出した

そんなことでずっと人を遠ざけスケッチをしたり遠目から写真撮ったり

スリナガルの人々

天上の山中をただ穏やかに過ごそうと試みていたのだけれど

時が過ぎ、、なんだろうね、次第に溶けてくるんだね

山に入り1ヶ月程過ごして再びスリナガルまで下りてくると、少し前に見た同じ景色が違うものに見えて来た

スリナガルの人々

振り返って今当時のポジフィルムを前にすると前半には無い人写真が旅の後半急に出てくることでもわかる
 
スリナガルの人々

こうみると写真って恐いね、撮り手の心情そのまま映すんだね

みんないい顔してるもんね

スリナガルの人々

自分の心持ちひとつで世界は鏡のように違った対応を見せてくれる

スリナガルの人々

恥ずかしながらの当時20代の旅手帳にもそう綴ってあった

こういうことって日本にいるとすぐ忘れちゃう、気をつけなくっちゃ


(写真/Nikon F3/Zoom-Nikkor 35-105mm f/3.5~4.5)

回想・スリナガル・3 


ただでさえ年末へ向けどうにも騒がしくなる上に衆議院選挙がそこに合わせて来たということ
仮想的躁状態の年の瀬を作るべくはしゃぐTVが観なくたって目に浮かびます

ここは世相関せずたんたんと、スリナガルの回想

14.12.5スリナガルシカラ遊覧-1

水の都スリナガルゆく旅人はシカラという小舟を雇ってたびたび水に遊びます

料金交渉を終えたら「適当に景色のいいところを流してくださいね」ボート漕ぎ屋にそう告げると

スリナガルシカラ遊覧

しょぼく装飾された手漕ぎ小舟は音もなく進み出します

旅人数人のシェアでシカラに乗り込み街の喧騒から離れてそれは静かな水の上、交わされるは世界中の旅話

スリナガルシカラ遊覧

個きわ立つ旅強者達から聞かされた話は驚愕を超えてただ笑うしかなく

うつらうつらとろけるような時間感覚の中、次々やってくる商売舟を冷やかし

スリナガルシカラ遊覧

チベッタン禁制品タンカにカシミヤ、香水、工芸品から石けんや歯磨きの日用品とあらゆる売り屋がやって来て

イスラムでは酒は悪魔の水ですから表立って売りませんが、外国人乗る舟見つけるとひっそり寄り来るは酒船

スリナガルシカラ遊覧

まだ外製品の無かった頃です、全インド製のそれはラムやウイスキーなど酷い出来、まともはビールでした

水辺に咲く蓮の花を摘んだ花売り娘は小舟で巡り

スリナガルシカラ遊覧

水の都の普通の暮らしを眺めてたゆとえば

スリナガルシカラ遊覧

時はしだいに引き延ばされて日本感覚は薄れ

スリナガルシカラ遊覧

世界は様々どこもかしこで違った時間が流れていることを知ります

スリナガルシカラ遊覧

シカラ、あるいは気づきの小舟だったのかもしれません

(写真/Nikon F3/Zoom-Nikkor 35-105mm f/3.5~4.5)

回想・スリナガル2 


振り返りはじめてしまった初期のインド旅
今回もインド北部ヒマラヤの入り口、ジャムーカシミール州のスリナガルにて続きます


モンスーンの季節、スリナガルの安宿ハウスボート滞在中激しい風雨が襲った

スリナガル

安ボートがずらっと並ぶジェラム川の水位もみるみる上がり
安ボートの雨漏りも酷く、いくつかのハウスボートは増水で係留ロープがちぎれ濁流を流されていった
ハウスボートは動力を持たない大きな屋形船であるから流されてしまったら対処法はない

とにかく大雨の間カシミーリー(現地人)達の大声が飛び交い、悲鳴と共に泣けや騒げよの大パニックである
「おいおいモンスーン季は毎年のことじゃないのかよ」と冷静なのは旅人ばかり

夕にはおおかた猛烈なスコールも上がり

スリナガル

大きな虹が空をまたぐ、かの国は気候も激しく極端なのである

スリナガル

翌日、見慣れた辺りの景色は一変していた。酷いと完全水没、良くて床上浸水。とにかく辺りは水浸しだった

スリナガル

それでも徐々に水位は下がっていく
すると現地カシミーリー達がニッコリしながら顔を出し

スリナガル

昨日この世の終わりの如きテンションで奮闘していた安ボートオーナー親父マホメットも急転ガッツポーズ

スリナガル

にしてもここに上げるのが申し訳ないほどのボロ宿だった(↓は浸水前の母屋である)
宿代は朝晩2食付きで25RS、レート換算250円程だったと記憶している
当時のスリナガルで日本人が多く集った安ハウスボート、その名もハウスボート「 JAPAN 」である・笑

スリナガル

川に浮かぶしょぼいハウスボート部分にバックパッカー旅者は住み食事時には陸の母屋に上がって集った

夕食は宿母さんお手製サブジ数種類にカレー数種が大皿で床に並び、それを車座の皆で取り分けた
朝食はカシミールロティに特産のハチミツ、ミルクの入らないカルダモン浮かべたカシミールティーが付く
たまになんの祝いなのかヒツジを一頭潰してノンベジも出たし、とにかく腹一杯食べられた

スリナガル

今思い返してみてもここに棲まう旅人は特別に濃かった
サドゥ化した超ベテランからヒマラヤ登山家に世界を股に掛ける鉄ちゃんなどなどなどのツワモノだらけ
20名程いた旅人のキャラ濃度は半端なく、中で日本を引きずった甘ちゃん初心者1名、それがワタシだった

いよいよ水が引いてくると安ボート一家総出でここぞとばかりに母屋の水洗いがはじまった
あっけらかんと大掃除なのである

スリナガル

毎年モンスーンで同じ事は起こるのだし水位が上がるのなら根本解決として母屋の場所を何故動かさないのだ
何故に災害レベルを繰り返す、、そんなふうにまだ日本人脳の残る初心者は考えたりもしたが
自然のエネルギーと共に喜怒哀楽を爆発させるカシミーリー達に圧倒され、それはあまりに生き生きと映った

つごう3週間ほど滞在したであろうスリナガルの安ハウスボート
あれから四半世紀が過ぎ、みんな元気にしているだろうか?

(写真/Nikon F3/Zoom-Nikkor 35-105mm f/3.5~4.5)

回想・スリナガル 


風邪っぴきで秋旅を逃したら、海外パッカー旅にも随分出ていないことまで思い出し
こりゃイカンと初期のパッカー旅をパラパラやってみた

↓はインド北部カシミール州の州都スリナガル、ナギン湖夕景といったところ

スリナガルダル湖

灼熱の国の避暑地、風光明媚なスリナガルをいく旅人は湖や川に浮かぶハウスボートが宿となる

スリナガルダル湖

そのハウスボートの数はもう徹底的に多くあきらかに過剰であるが故、苛烈な客引き合戦が恒常的

スリナガルダル湖

ハウスボートのランク付けはカーストの国よろしく格差明快であり
安宿となるハウスボートは広く景色の良い湖沿いには無く淀んだ茶色の川沿いに固まっていて
そんなところにバックパッカーは多く棲まっていた

スリナガルではシカラという小舟を雇って水に遊ぶのも常

スリナガルダル湖

ヒマラヤの入り口の山々を映す湖に浮かぶ小舟に揺られるのは気分もよい

その名もとどろくカシミール商人の本拠である
当然買い物などしようものなら鬱陶しいことこの上なく、もう笑えるほどの度を超したふっかけぶりで
気合いの入った価格交渉などは数日を要したりもする

スリナガルダル湖

もう長きにわたって外務省が「渡航の延期」をおすすめしている場所でもある
印パ領土問題があって国境線も不明瞭な場所で危ないから行かないでもらいたい、ということだ

その当時はまだ渡航自粛令は出ていなかったと思うが
それでもスリナガルではたびたび爆弾の破裂音を聞いた。記憶ではすべて就寝時の夜間だったように思う

スリナガルダル湖

そのたびボート安宿の主人がやって来て、イスラムの仲間がまた何人死んだ、そんな事を叫んでいた
印軍の兵がやたら目についたりパスポートチェックも多かった

それでもどうということなく街は日常を営んでいたし古色を帯びた木造の街も美しかった
この地方大半を占めるイスラム人達も明るくエネルギッシュで感情豊かに見えた

スリナガルダル湖

そうは言っても旅者にはなにもわかるまいか

イスラムの民は旅人に手厚くあたるよう、との教えを持っている
実際はどうかと言えば、これが本当であり沁みるほどにとことん親切である
これにはゲストに対する心というものを教えられ、イスラムの一端に触れた気がした
かれこれ25年前になる初期のインド旅である

(写真/Nikon F3/Zoom-Nikkor 35-105mm f/3.5~4.5)